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小島一朗の生い立ちや家族構成!父親のインタビューが他人事で酷い

2018年6月、東海道新幹線の車内で起きた無差別殺傷事件

犯人となった小島一朗被告の生い立ちや家族関係には、現代社会が抱える様々な問題が凝縮されていました。

発達障害の診断を受けながらも適切な支援を受けられなかった幼少期、両親との確執、そして社会からの孤立。

この記事では、小島被告の生い立ちから事件に至るまでの経緯、そして服役中の現在の様子まで、詳細に迫ります。

さらに、事件が投げかける社会的問題にも目を向け、私たちに何ができるのかを考えていきます。

この記事のポイントは以下の4つです
  • 小島一朗の生い立ちと発達障害の診断
  • 小島一朗と家族との複雑な関係性
  • 新幹線殺傷事件の経緯と裁判の結果
  • 服役中の小島一朗の現状と社会的課題
目次

小島一朗が起こした新幹線のぞみ通り魔殺傷事件の概要

2018年6月9日夜、東海道新幹線東京発新大阪行き「のぞみ265号」の12号車内で、無職の小島一朗容疑者(当時22歳)が、突如ナタと果物ナイフを取り出し、隣に座っていた女性2人に襲いかかる事件が発生しました。

騒ぎに気づいた38歳の男性会社員が助けに入りましたが、小島容疑者に切りつけられ、命を落としました。

事件発生時の新幹線車内の状況

事件が発生したのは、新幹線が新横浜駅を発車した直後の21時45分頃のことでした。

小島容疑者は突然立ち上がると、隣席の26歳の女性に向かってナタを振り下ろし、頭部に傷を負わせました。

続けて、通路を挟んだ反対側の座席の女性にもナタを振り回し、左腕上部に重傷を負わせています。

悲鳴が響き渡る中、乗客は隣の車両へと一斉に逃げ出し、連結部分ではドミノ倒しのような状態になったと目撃者は証言しています。

小島一朗の犯行動機と供述内容

小島容疑者は逮捕後の取り調べで、以下のような身勝手な供述をしています。

  • 犯行動機: 「無期懲役になるために無差別に人を襲った」「自分で考えて生きるのが面倒で刑務所に入りたかった」
  • 反省の色: 「特段申し訳ないとは思っていない」と供述しており、反省の色は全く見られない
  • 捜査員の反応: 取り調べに当たった捜査関係者は怒りをあらわにし、「まさに無気力という言葉が合う」と吐き捨てている

小島容疑者の身勝手な犯行動機からは、社会や他者に対する感情の欠如が感じられます。

自らの行動がもたらす結果を顧みない、自己中心的な考えが事件の背景にあったのではないでしょうか。

小島一朗の生い立ちと家族背景

小島一朗容疑者は、愛知県一宮市で家族と共に暮らしていましたが、幼少期から発達障害の診断を受け、周囲との関係性に困難を抱えていました。

特に父親との関係の悪化が指摘されています。

ここでは、小島容疑者の生い立ちを詳しく見ていきます。

5歳で発達障害と診断される

出典元:週刊女性PRIME

小島一朗容疑者は、5歳の時に発達障害と診断されました。

幼少期から周囲とのコミュニケーションがうまく取れず、苦しい日々を送っていたようです。

発達障害であることが直接的に事件の原因になったわけではありませんが、社会に適応できない経験が遠因となった可能性が指摘されています。

中学時代の不登校と言い訳癖

父親によると、小島容疑者は中学3年生の頃、「友達がいない」「授業についていけない」という理由で不登校になったとのことです。

  • 剣道部での言い訳: 中学2年生までは剣道部に所属し、1級まで取得していたが、合格直後に退部を申し出た。父親が認めなかったところ、練習に遅刻するようになり、最終的には「誰も練習日を教えてくれない」と言い訳して行かなくなった
  • 両親への暴力: 中学2年生の時、姉だけ新しい水筒をもらい自分は姉のおさがりになったことに激高し、両親の部屋に飛び込んで金槌や包丁を投げつけたこともあった
  • 卒業式欠席: 結局、中学3年生では不登校となり、卒業式にも出席しなかった

自身の非を認めず、言い訳を繰り返す小島容疑者の姿が浮かび上がります。

親や教師とのコミュニケーションもうまく取れず、孤立を深めていったのではないでしょうか。

自立支援施設での生活と定時制高校進学

中学卒業後、小島容疑者は母親の勤務先である自立支援施設に入所します。

父親との確執を避けるため、実家を出て施設で暮らし始めたのです。

そこから定時制高校に進学しますが、施設の代表は以下のように証言しています。

  • 施設での生活: 高校と職業訓練校の計4年間、施設に住んでいたが、トラブルは一切なかった
  • 学業成績: 高校時代の成績はオール5とかなり優秀で、本来4年制のところを3年で卒業した
  • 母親のサポート: 母親もこの施設で働いており、小島容疑者を支援していた

施設での生活は比較的安定していたようですが、一方で母親への依存度が高かったことも伺えます。

自立心の欠如が、のちの社会不適応につながった可能性もあるでしょう。

小島一朗の家族関係

小島一朗容疑者の家族関係は複雑で、特に両親との軋轢が目立ちます。

一方、祖母との関係は比較的良好だったようです。

ここでは、家族それぞれとの関わりを詳しく見ていきましょう。

父親との確執と他人事のような発言

父親は事件後のインタビューで、小島容疑者のことを「一朗君」と呼び、まるで他人事のような発言をしています。

  • 発達障害への無理解: 小島容疑者が5歳の時に発達障害の診断を受けていたにも関わらず、高校生になるまでそのことを知らされておらず、病名を聞いても特に興味を示していない
  • 養子縁組への無責任: 「助けてください」という小島容疑者からの手紙をきっかけに養子縁組を決めたと語るが、その後のフォローについては言及していない
  • 自己保身的な発言: 警察から虐待の有無について問い合わせがあった際、「妻も供述内容を聞いて母親を放棄したいと呟いている」「私達夫婦が加害者みたいになる」など、被害者のことより自分たちのことを気にしている

育児放棄とまでは言えないまでも、発達障害を持つ我が子に対する父親の無関心さは際立っています。

小島容疑者の非行の背景には、こうした家庭環境の影響もあったのかもしれません。

母親の対応と自己中心的なコメント

一方、母親は小島容疑者が自立支援施設に入所した際、職員としてサポートを行っていました。

しかし事件後のコメントでは、以下のような自分本位な発言が目立ちます。

  • 自殺の可能性は想定: 「自殺することはあっても、まさか他殺するなんて思いも及びませんでした」
  • 自身の精神状態を強調: 「テレビの映像を見て本当にショックで、いまだに精神状態が良くありません」
  • 父親と同様の他人事発言: 父親同様「一朗君」と呼ぶなど、物心ついた頃から関係が希薄だった印象を受ける

自分が被害者であるかのような母親の言動からは、小島容疑者への愛情の欠如が感じられます。

幼少期から適切な養育を受けられなかったことが、彼の人格形成に影響を与えた可能性は十分にあるでしょう。

祖母との養子縁組と同居生活

唯一、小島容疑者と良好な関係を築いていたのが祖母のようです。

機械メンテナンス会社を退職後、小島容疑者は祖母との同居を強く望み、養子縁組を結んでいます。

  • 祖母の愛情: 祖母は小島容疑者を溺愛しており、自身の年金が入る通帳を渡して自由に使わせるなどしていた
  • 叔父夫婦との同居: 祖母宅には母親の兄夫婦も同居しており、計4人で暮らしていた
  • 事件後の祖母のコメント: 「私には一朗のことしかない。82歳だから、一朗が帰ってくるまで生きなくちゃ」と小島容疑者を気遣う発言をしている

ただ一人無条件の愛情を注いでくれる存在だったからこそ、小島容疑者も祖母との同居を望んだのかもしれません。

一方で、過度な甘やかしが彼の自立心を阻害した面もあるかもしれません。

叔父が語る小島一朗の素顔

小島容疑者と祖母宅で同居していた叔父夫婦。

そのうちの叔父は、自分勝手な言動を繰り返す小島容疑者に厳しくあたることもあったようです。

事件後のインタビューでは、以下のように小島容疑者の両親を批判しています。

  • 養子縁組への不満: 「私が知らない間に、母(一朗の祖母)と養子縁組をされていました。母が死んだら、一朗はどうする。俺は絶対に面倒はみないと言ったんです」
  • 両親の無関心さ: 「妹(容疑者の母)も父親も無関心で、愛情がないんです」

小島容疑者に最も近い立場であったこの叔父の証言は、家族関係の実態を物語っているのかもしれません。

周囲から愛情を注がれず、自尊心を持てないまま成長した小島容疑者。

その歪んだ人格形成が凶行につながったのではないでしょうか。

事件前後の小島一朗の行動

高校卒業後、職業訓練校を経て機械メンテナンス会社に就職した小島容疑者。

順調に思えたその人生が暗転するのは、入社から11ヶ月後のことでした。

人間関係のトラブルからか、会社を退職し、その後はホームレス生活に入ります。

事件に至るまでの経緯を追ってみましょう。

就職と退職、ホームレス生活への転落

2015年4月に機械メンテナンス会社に就職した当初、小島容疑者は仕事ぶりも真面目で、給料で服や時計を買って親に自慢するなど、充実した様子を見せていたといいます。

しかし、わずか11ヶ月後に「ホームレスになりたかった」「人間関係のトラブル」などを理由に退職。

その後のホームレス生活について、父親は以下のように証言しています。

  • アパート生活の末路: 小島容疑者は一人暮らしを始めたが、半年で貯金が尽き、最後は電気もガスも止められた状態だった
  • 最低限の欲求のみ: 「僕は寝る場所があって、ご飯を食べられればそれでいい」と小島容疑者は吐露していた

一方、ホームレス生活を望んでいたかのような小島容疑者の発言からは、社会から逃避したいという気持ちが感じられます。

人間関係を築くことができず、現実から目を背けるようにホームレス生活に入ったのかもしれません。

4度目の家出と事件直前の状況

その後、小島容疑者は祖母との同居が叶いますが、そこでも上手くいきませんでした。

叔父とのトラブルなどを理由に、2017年1月と8月に家出。

同年末には「自殺する」と言い残して4度目の家出をし、ホームレス生活に戻ります。

そして事件直前まで、長野県内を転々としていたことが捜査で明らかになりました。

自殺をほのめかしつつも、最後まで実行しなかった小島容疑者。

一縷の望みを託して新幹線に乗り込んだものの、社会復帰の意思を完全に失っていたのかもしれません。

そして、無差別殺人という、悲惨な結末を迎えてしまったのです。

裁判の経過と判決

事件から約1年半後の2019年12月、横浜地裁小田原支部にて小島一朗被告の裁判が行われました。

検察側は無期懲役を求刑。

一方の小島被告は、終始不可解な態度を取り続けます。

無期懲役を求める小島一朗の主張

出典元:X

公判では、小島被告自身も「無期懲役になりたい」と繰り返し訴えました。

犯行時の心境については「私は無期懲役刑になるために無差別殺人をしました」と供述。

また、死刑になる可能性を問われると、「死刑になったらなったで控訴しない」と答えるなど、反省の色は全く見られませんでした。

有期刑で出所した場合のことを尋ねられると、「もしも有期刑になり出所したらまた必ず人を殺す」と言い放ち、「無期刑になれば仮出所にならないように全力を尽くす」とも話しています。

社会復帰の意思が全くない様子がうかがえました。

判決を聞いた際の異常な反応

結審から約1週間後の12月18日、小島被告に対する判決が言い渡されました。

求刑通り、無期懲役。

小島被告はその判決を聞いて、満面の笑みを浮かべながら万歳三唱したといいます。

あまりにも異常な光景に、傍聴席がざわつく場面もあったとか。

責任能力が問われる場面もありましたが、結局小島被告は完全責任能力ありと判断されました。

求刑通りとはいえ、極刑を免れたことを喜ぶ小島被告の姿からは、罪の意識が感じられません。

事件から4年以上が経過した現在も、服役を続ける小島受刑者。

更生の兆しは見えないままです。

2019年に弁護士が獄中で面会した際も、「無期懲役になって本当に良かった」「刑務所は素晴らしい。

ここにはまだ希望がある」と語っていたそうです。

果たして、この先彼に更生の日は来るのでしょうか。

服役中の小島一朗の現在

事件から約6年が経過した2024年9月現在、小島一朗受刑者(28歳)は、刑務所での服役を続けています。

ここ数年、弁護士とのやり取りを通じて、服役中の様子の一端が明らかになっています。

手紙から見える刑務所生活への適応

2024年に弁護士に宛てた手紙の中で、小島受刑者は以下のように綴っています。

  • 刑務所生活の感想: 「刑務所のことは徹底的に調べ上げた上で刑務所に入りました。感想としては、まんま、そのとおり。こんなもんだよね、というかんじ」
  • 仮釈放への拒否感: 「私はマル特無期ではないので、30年無事故をとれば、仮釈放をもらえるらしい。けれども、私は仮釈放されたくないので、そんなことをいわれたら、逆に事故を起こしたくなってしまう。仮釈放は怖い」
  • 社会復帰への拒絶: 「もう二度とシャバには出たくない」

刑務所生活に違和感を覚えるどころか、むしろ肯定的に捉えている小島受刑者。

仮釈放の話が出ただけで、事故(トラブル)を起こしたくなるという発言からは、社会復帰への意欲が全く感じられません。

社会復帰への意思が見られない発言

さらに小島受刑者は、刑務所生活と社会生活を比較し、刑務所の方が「生きるのが義務付けられている」と語っています。

  • 衣食住の保証: 「刑務所は、衣食住があたりまえであり、友人も仕事も娯楽も全て用意してもらえる。社会では、これらを得るために努力しないといけないのだ」
  • 生きることの義務化: 「社会にいる時に、あれだけほしかった食物、どうしても得ることができなかった食べ物が、ここでは、食べない、と食べてください、お願いされるものになる。風呂についてもそうだ」
  • 国の保護の強調: 「無期なら、死ぬまで国が面倒を看てくれる。しかし、有期は?誰が面倒を看てくれるというのか。社会では、『小島さん、自殺する権利もありますよ』で終わりだ」

刑務所では国に守られ、生かされている。

一方、社会では自分の力だけで生きねばならず、最悪の場合「自殺する権利」しかない。

そんな小島受刑者の発言からは、彼なりの社会と刑務所に対する価値判断が見て取れます。

果たして、この先の長い獄中生活の中で、彼の価値観に変化は訪れるのでしょうか。

それとも、「自分を破壊できる幸せ」を死ぬまで味わい続けるのでしょうか。

事件が投げかける社会的問題

小島一朗受刑者が起こした痛ましい事件。

ただ単に極悪非道の犯罪者による惨劇として片付けるのは簡単ですが、事件の背景を詳しく見ていくと、そこには私たち社会の抱える問題が浮かび上がってきます。

発達障害者支援の在り方

小島受刑者が幼少期に発達障害と診断されていたことは、既に述べた通りです。

もちろん、発達障害イコール犯罪者というわけではありません。

しかし、障害特性により社会生活に困難を抱える人々に対し、私たちは果たして十分なサポートを提供できているでしょうか。

教育の場における合理的配慮、就労支援、生活支援など、発達障害者が社会の中で孤立することなく、その能力を発揮しながら生活できる環境整備が急務だと言えるでしょう。

家族関係と犯罪の関連性

両親との不和、母親への過度な依存、祖母の溺愛。

小島受刑者の人格形成に、家族関係が少なからぬ影響を与えていることは明らかです。

虐待とまでは言えないまでも、子供の心身の健全な発達を阻害するような家庭環境。

社会から孤立したストレスのはけ口を、暴力に求めてしまう若者たち。

家族関係の歪みが生む負の連鎖を断ち切るためにも、社会全体で子育て家庭を支援していく必要があります。

同時に、困難を抱えた親子が孤立することなく、SOSを発信できる場を地域社会の中に作ることも大切なのではないでしょうか。

事件から6年、小島一朗の凶行を生んだ社会の闇は、果たしてどれほど改善されたでしょうか。

今一度、事件の深層に目を向け、同じ過ちを繰り返さないために何ができるのか。

私たち一人一人が考えていかなければならない課題だと言えるでしょう。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

まとめ:新幹線殺傷事件と小島一朗の生い立ち

  • 2018年6月9日、新幹線内で無差別殺傷事件が発生
  • 犯人の小島一朗は5歳で発達障害と診断される
  • 中学時代は不登校になり、両親との関係も悪化
  • 自立支援施設を経て定時制高校を3年で卒業
  • 就職後わずか11ヶ月でホームレス生活に転落
  • 祖母との同居を望み、養子縁組を結ぶ
  • 父親のインタビューは他人事のような発言が目立つ
  • 無期懲役を求め、無差別殺人を実行
  • 裁判では反省の色が全く見られず
  • 刑務所生活を肯定的に捉え、社会復帰を拒否
  • 発達障害者支援の在り方が社会的課題として浮上
  • 家族関係と犯罪の関連性に注目が集まる
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